水を撒いてくれ!

とりとめない思考の垂れ流し、または備忘録

過去の話をしよう ~ぼくの相棒のこと③~

 いや、まさかこんなに空くとは。前回の更新が昨年の11月というのは自分でもちょっとびっくり。いや、まいった。
 そんなこんなで久しぶりの更新は途中になってた相棒のことを書こうと思う。

 

 そもそもなんで相棒のことを書こうと思ったのかというと、別に相棒が事故に遭ったわけでも、どちらかが結婚したとかいうわけでもなく、ぼくと相棒がコンビ分かれしてから今年でちょうど十年だからっていうだけのことだ。
 なんとなく去年からその当時のことを思い出したりして、彼は元気でやってるだろうか(同じ町に住んでるけど)、みたいなことを思って。なんだか直接連絡とったりするのはむず痒いというか照れくさくてできてないんだけど。。。

 どこまで書いたか。ああ、当時は毎日楽しかったな、みたいなことを書いたのか。
 まあ、そんなこんなで日々楽しくやってたし、どんどん曲も増えていった。ぼくの書く勢い任せのロックっぽいもの、相棒の書くラヴソング。ときどき逆だったり。
 それでライブもいい感じで、お客さんもいたり、こっちは相棒はあまり関わってないけどぼくは他のジャンルというか、BMXのライダーとかスケーター、ダンサーなんかの人からも刺激をもらって頑張ってた。やっぱり人に聴いてもらう、伝えるってことをしないと意味ないから。
 
 そうやってまあ順調にやってたんだけど、ある日ぼくの携帯に一本の電話がかかってきた。ぼくが中二のときに離れて以降ほとんど連絡をとったことのなかった母親からだった。ぼくは母親の電話番号を知らなかったから、たぶん連絡を取り合ってた数少ない親戚からぼくの番号を聞いてかけてきたんだと思う。
 その電話からわかったのは、母親が隣県に住んでいるってことと、一緒に暮らしてた男が死んだということ。最後に母親は言った。「一緒に住まないか」と。
 ぼくとしては突然の電話だったし、内容も驚くことが多かったしで正直戸惑った。それにやっぱり十代特有の反発心というか「今更なんだよ」みたいな気持ちも。でもぼくは小さい頃からお母さんっ子だったから久しぶりに聴く声が懐かしくて、ありきたりだけど胸がいっぱいになってもいた。すごく複雑な気持ちだった。

 それで当然その電話のことを相棒に相談したんだ。
 正確なやりとりはもう覚えてないけど、相棒はずっと冷静にぼくの話を聞いてくれた。ぼくはまだ混乱した頭で、それまでのことや今思ってることなんかをとにかく話したんだと思う。
 それがちょうど冬から春にかけてのことで、相棒は高校卒業するってタイミングだった。ぼくらは毎日のライブと並行して何日かかけて今後のことを話し合った。
 最終的に行きついた結論は、ぼくは母親のところへ行って新しい環境でやってみる。相棒は地元に残って(たぶん就職が決まってたんだと思う)続ける。というもの。
 コンビは解散せずに一年ぐらいしたら相棒が引っ越してくる。それまでにお互い新しい曲をバンバン作って頑張ろうぜっていうすごくポジティブな感じになった。今のぼくが当時の自分たちに会えるなら「そんなにうまくはいかないぞ、少年たちよ」って言うだろう。そして当時のぼくらは確実に反発するだろうな(笑)。

 ぼくが母親の元へ行く日と、相棒の彼女が専門学校に入学するためにぼくと同じ町へ引っ越すのは偶然にも同じ日だった。時間をずらしたから電車は別だったけどね。
 その日、地元の駅のホームで相棒はまず彼女を見送って、次にぼくを見送った。ぼくは相棒を見て「彼女見送って泣いた?泣いたでしょ?ん?」とかなんとか言ってからかった。

 

 こうやって思い出すと、彼女と音楽のパートナーを同時に見送った相棒は寂しかっただろうなあ。それと同時に彼のことだからやる気も出ただろうな。
 ぼくはぼくで電車の中で、相棒のことや交流のあった人たちのこと、それになにより久しぶりに会う母親のことを考えて少し泣いた。リュックとギターケースがやたらと重く感じたのをよく覚えている。

よし、かっこよく締まったし今回はこのへんで。

ずれ

相棒の話は一旦休んで、最近感じていることを。

 

ぼくは子供の頃からどこか周りとずれている感じというか、疎外感みたいなものを受けながら生きてきた。幼稚園や小学校でクラスの子たちと違うものの見方をしてしまうというか、授業であてられて自信満々で答えるけど、その答えに先生が困るというか。「え?これってこうだと思ってたけど違うんだ?」みたいな。
これって結構多くの人が体験しているんじゃないかと思うんだけど、どうだろう?

小学生ぐらいのときは、まあなんとかなったんだけど、成長するにつれずれが大きくなって、そこに自分が戸惑うことも多くなった。中学生にもなると、自分の育ってきた環境もあってさらに倍率ドンみたいな。古いな……。
その頃のことを最近思い出すことが多くて、自分自身のこれまでの歩みを振り返ったりしている。大袈裟な言い方になるけど自分の人生、生き方を見直すというか。

それで、まあ後悔が多い。勿論それなりに生きてきたから嬉しい瞬間や素晴らしい、素敵な瞬間もいくつもあった。胸がぎゅーっとなるようなことも。
それでもやっぱり「あのときああしとけば、こうしとけば」みたいなのって多くて。それが生きるってことなのかもしれないけど、そのことを思う度にちょっと心臓の横辺りがざわざわするんだ。いろいろと振り返って、自分ってあんまり成長してないなって落ち込むことも多い。いい大人なのにぐじぐじ考えたり、どこか卑屈な自分もいて。

これは誰だってそうだと思うけど、ぼくも生きている限り誰かに必要とされる人間でいたい。しかも小心者のくせに欲張りなものだから、少しでも多くの人に。また大袈裟なんだけど、ぼくが死んだときに少しでも多くの人に本当に泣いてほしいというか、そんな感じ。あんまりいいことじゃないんだろうけどそれが今の本音だ。

ただ、その為になにができるかはわからない。必要とされたい、つまり正直な話愛されたいけど、どうやったらそれができるのかわからない。いい奴であろうとしてもただのいい奴で終わる気がするし、何か秀でた才能があるわけでもない。あるのは子供の頃から少しずつ広がった周囲とのずれ。それをないことにする術。これがまあ疲れる。みんなそうやって頑張ってるんだろうけどね。参ったなあ。

たぶんあれこれ考えるようなことでもないんだろうな。

 

まあ、あれこれと意味があるんだかないんだかわからないことをぐちぐち考えたり、焦ったり、イライラしたりしながらもがいています。

過去の話をしよう ~ぼくの相棒のこと②~

いや、なかなか書けなかった。
そしてタイトルを変えた。だって暮らし記録してないもの。よく考えたら。でね、願望。

 

 

さて、相棒の話。

ぼくらは毎日会って音楽をやったり音楽について語り合ったりした。
当時は十代だったからお金はなかったけど、時間はあったんだ。学校が終わってからの時間はほとんど一緒にいたんじゃないだろうか。

いや、相棒には当時付き合って三年になる恋人がいたから、正確には彼女と会っていない時間のほとんど、か。

その彼女が美人でね。相棒は本当に惚れこんでいた。「あいつのことしか考えらんねぇ」みたいなね。
まあ、今思えば十代にありがちな青臭い純粋さというかね。いや、本当に羨ましいよ。
当時ぼくは今以上にろくでなしだったから、いろんな女の子と遊んだりはしたけど、なんか真剣になれなかったから。
しかもね、相棒の方が基本的にモテるんだ。男前だしね。腹立ってきた(笑)

 

そんなことはどうでもいいんだ。

ぼくらはお互いにロマンチストで、田舎の青年にありがちなシャイな性格だった。
だけど、音楽に関してだけはちょっと恥ずかしいようなことでも言い合えた。缶コーヒーと煙草とギターでね。
そういえば、なぜか相棒とはあまり酒を飲んだ記憶がないな。

 

曲作りは、基本的にそれぞれ別々に行ってある程度形になったら聞かせるっていうスタイルだった。
当時書いた曲はもうほとんど手元に残ってないけど、かなりの数書いた。たぶんいい曲もあったはず。それでできる度に聞かせるっていう。
毎日のように路上に出てたから、一通り演奏し終えて、通りに人がまばらになった頃、だいたい十一時半とか、それぐらいの時間は練習と新曲披露タイムだった。家で小さな声・音でやるのと大きな音でやるのとではだいぶ違うからね。イメージ通りにいかないことも多い。
この時間は楽しかったなあ。いや、今思うと日々のすべてが楽しかったようにも感じるけど。

過去の話をしよう ~ぼくの相棒のこと~

はじめにいっておきたい。ぼくはかなりのロマンチストだ。それをしっておいてほしい。それにぼくはゲイではない(特に偏見はないつもりだが念のため)。そのことを踏まえて読んでほしい。

 

 

昔音楽をやっていたというのは以前書いた気がする。今回はその時代の話を短く切って書いていこうと思う。

ぼくらの音楽活動は、ぼくともうひとりのソングライターで曲を書いて演奏する。録音する。とてもシンプルな活動だった。歌うのは基本的にぼく。もうひとりのソングライターはどちらかというとプレイヤーとしての性格が強かった。ぼくの相棒。

書く曲にもそれぞれ個性があって、ぼくは日常への不満やしがらみからの解放をテーマにしたものを多く書き、相棒はラブソングが得意だった。勢い担当のぼくとそれをコントロールする相棒というような立ち位置。

 

ぼくらはハイティーンの頃に路上ライブで出会った。

お互い斜め前で演奏していたんだ。互いの演奏を意識し合ってたのは感じてた。それがライバルとしてなのか、単純に演奏者として注目してたのかはわからない。だけど確実に意識はしてた。

 

相棒とのはじめての会話は今でもよく覚えてる。散々演奏して休憩しようとしたときに相棒が自販機の前でぼくに言った。

「なんか飲むな?」

相棒が笑いながらそう言ったとき、ぼくの中でいっきに壁がなくなった。

それから二人で合わせたり、お互いが書いた曲を聞かせあったりしてるうちに仲良くなっていった。

ぼくらは深夜のファミレスで、相棒の家で、公園で、洗車場で、延々と話したし、ギターを弾いた。それはとても濃密な青春の日々だった。恋人よりも長い時間を過ごした。

 

間抜けな盗賊団 2

ニワトリ小屋での失敗から数日後、ぼくら〈サイト団〉は再び作戦会議をした。鍵を手に入れる方法を考えたがいいアイデアが出てこない。教頭の机の後ろにある鍵を盗むのはそうとうに難易度が高い。それで出した結論は「ニワトリ係の生徒を抱き込むこと」だった。

 

同学年でニワトリ係の生徒は三人。少年野球をやっているはたくん、内気なよしのくんと学級委員のふじさわさんだ。

はたくんは今で言うリア充で爽やか少年、ぼくらとは合わないしこの作戦には不向き。

ふじさわさんは委員で堅物、ぼくらとは一年のときに男子女子一年戦争を繰り広げた猛者でとてもじゃないが抱き込めそうになかった。それに当時のぼくらにとって女子に頼みごとをするのはかっこ悪いことだった。

そこで目をつけたのがよしのくんだ。勉強も運動も特にできるわけではなくいつも静かでおっとりしている彼ならなんとかなるのではないかというのがぼくらの総意だった。

 

早速その日の放課後ニワトリ小屋を見張るぼくといばくん(さわたにくんは係の仕事だ)。よしのくんが一人になる瞬間を待つ。上級生と一緒に楽しそうに作業するよしのくん。やさしくニワトリを抱きかかえて小屋の掃除をする。彼はいいやつだ。そんないいやつの姿を見てぼくらは少しだけ心が痛んだ。だがしかし、やらなければならない。謎の使命感からぼくらは引けなかったのだ。

係の仕事が終わると生徒たちがそれぞれニワトリ小屋をあとにしだす。鍵は六年生が職員室に持っていくようだ。

ぼくらと同学年の三人はというと、はたくんは野球の練習があるからか上級生と一緒にダッシュで去っていった。残されたよしのくんとふじさわさんは小屋の前にしゃがんでニワトリを見ている。なんだかいい雰囲気だ。

ぼくらが物陰からその様子を見ているときさわたにくんが係の仕事を終えてやってきた。まずい、さわたにくんはふじさわさんが好きだった。

「なんやあいつら、二人でじっとニワトリなんか見てばかじゃねぇの」

そんなさわたにくんの小さな声など知らず二人はにこにことニワトリを見ている。

 

しばらくしてようやくふじさわさんが立ち上がった。よしのくんはまだ小屋の前にじっとしゃがんでいる。

「なあ、ニワトリっておもしれえの」さわたにくんがぶっきらぼうにたずねる。

突然上から降ってきた声によしのくんは驚いていた。ぼくらをみてなにを言えばいいかわからないみたいに黙った。そこにさわたにくんが追撃する。

「なあって!」

ちょっと怒ったみたいな声の理由は黙ってるよしのくんへの苛立ちだけじゃない。これはいかんと思ってぼくは二人の間に入った。

「サワ、そんなふうに言ったらだめやん。よしのくんごめんな」

さわたにくんは舌打ちして黙る。よしのくんは小さく「……うん」と呟き下を向いてしまった。ゆっくり話すためにぼくらは座って話すことにした。

 

 ぼくはあらかじめ考えていた話をよしのくんにする。自分たちもニワトリに興味があること、触ってみたいことなどだ。話していくうちによしのくんの顔が明るくなっていった。

「それやったら中休みとかにみんなくるから一緒にくればいいよ」

そうよしのくんは言う。想定していた返し。

「でもほら、サワなんかこんなキャラやけん女子とかと一緒にやれんのよ。やから放課後こっそり触ってみたいんよ」

さわたにくんがちょっと乱暴者だとみんなに思われているのを利用した。

「よしのくんに協力してほしいんよ」真剣な顔でそう言う。「そっ、そうなんよ」どもりながらいばくんも真剣にうなずく。

「……でも」と呟くとよしのくんはみるみる困ったような泣き出しそうな顔になっていった。それを見てさわたにくんが爆発した。

「おまえなんなんか!女みたいにうじうじして!はっきりせぇよ!」

「ぅうぇ、ひぃ……」

とうとうよしのくんが泣き出した。ぼくらの作戦はまたも失敗に終わった。