水を撒いてくれ!

とりとめない思考の垂れ流し、または備忘録

グワッ

 あけましておめでとうございます。
 なかなか更新できずにいるブログですが今年もゆるくやっていきたいと思っております、ハイ。
 とりあえず、早めに『過去の話をしよう ~ぼくの相棒のこと~』シリーズを終わらせたいと思うのですが書こうとする度にいろんなことが思い出されてなんだかうまく書けない(伝わるように書けない)という有様です。

 

 昨年ははじめて小説のようなものを書きました。ずっとやってみたかったんです。まあ、自分で言うと悲しくなるのですがこれが稚拙という言葉を使うのもためらわれるような出来です。もともと中・長編の予定のものを無理やり縮めたとはいえ、短編ひとつ書くのにこんなに苦労するとは思いませんでした。
 ここはどうしよう、この話を入れたいけど邪魔かな、など考えるのは楽しいものです。以前音楽を、歌を作っていたときとは似て非なる感覚。
 というのもぼくは割と感覚でやっちゃうタイプだったからです。ロジカルに考えたり整合性が取れてない歌詞でも曲の雰囲気に合っていればそのままにしていました。曲も多少の不協和音や歪みなどはそれが味になるのであればOKみたいな。
 小説はそうはいきません。なぜなら音楽以上に言葉が重要で大きな意味を持つし音が出ないから。単純に長いし。自分がいかに音に救われていたかを実感しました。音があるって素敵。
 そうやって四苦八苦することでなにか自分なりにいろいろなことが見えてくるような感覚もありました。それは無駄ではないはず(きっと)。

 今もまた書いています。

「少しでもイイモノを」

 これって幼稚園児から老人まで誰でも好きなもの好きなことをやっている人は同じだと思うんです。粘土細工で素敵なものを作りたい。孫に喜んでもらえるプレゼントを。とか、なんでもいいんですけどね。だからぼくも拙くても不格好でも少しでもイイモノを作りたいです。「やったらぃ!」みたいな気持ちです。

 

 そんな感じで今年もゆるく見せて水面下でめっちゃバタバタしながら生きていこうと思います。アヒルのようにね。グワッ。

 

tomitakah.hatenablog.jp

雑記

最近転職活動、そして引っ越しのための物件探しをしている。
どちらもいろいろと条件を決めているので、ある程度的を絞っているんだけど、なかなかこれはというものはない。仕事のことで具体的に言うと給与面と拘束時間。ぼくは他に本当にやりたいことがあるのでそれをないがしろにしてまで自分の時間を割いて他人の会社のために働きたくないというのが本音だ。本も読みたいしね。
他にも個人的な事情やなんやかやで絞らざるを得ない部分もある。

引っ越しに関しては、少し広いところに越して猫を飼いたいという希望があるので、それを考えると物件数はあまり多くない。駐車場もいるし、新たに務めることになるであろう職場へのアクセス面も考慮しなくてはならない。どこに行くにしてもちょうどいいところがあればいいがなかなか……。

 

そんなこんなのさなかにも日々は過ぎていく。
先月末まで根を詰めてやっていた作業がひと段落し、次の作業にも取り掛かっている。
ぼくはあまり器用な方ではないので、いくつものタスクを同時進行で行うことが苦手だ。だけどそうも言ってられない。これは自分自身がひとつ上のステップへと進むためのチャンスなのだと考え方をポジティブに持っていこうと思う。なんだか少し、毛筆の力強い文字で「自己実現」とか書いて会社の壁に貼っちゃうブラックな会社みたいだけど。

 

そうやって日々を暮らしながらぼくは生きていきたいと思う。生き続けたいと思う。
自分を見失わないように。やりたいことの軸をぶれさせないように。イェイイェイ、ベイベー。

過去の話をしよう ~ぼくの相棒のこと③~

 いや、まさかこんなに空くとは。前回の更新が昨年の11月というのは自分でもちょっとびっくり。いや、まいった。
 そんなこんなで久しぶりの更新は途中になってた相棒のことを書こうと思う。

 

 そもそもなんで相棒のことを書こうと思ったのかというと、別に相棒が事故に遭ったわけでも、どちらかが結婚したとかいうわけでもなく、ぼくと相棒がコンビ分かれしてから今年でちょうど十年だからっていうだけのことだ。
 なんとなく去年からその当時のことを思い出したりして、彼は元気でやってるだろうか(同じ町に住んでるけど)、みたいなことを思って。なんだか直接連絡とったりするのはむず痒いというか照れくさくてできてないんだけど。。。

 どこまで書いたか。ああ、当時は毎日楽しかったな、みたいなことを書いたのか。
 まあ、そんなこんなで日々楽しくやってたし、どんどん曲も増えていった。ぼくの書く勢い任せのロックっぽいもの、相棒の書くラヴソング。ときどき逆だったり。
 それでライブもいい感じで、お客さんもいたり、こっちは相棒はあまり関わってないけどぼくは他のジャンルというか、BMXのライダーとかスケーター、ダンサーなんかの人からも刺激をもらって頑張ってた。やっぱり人に聴いてもらう、伝えるってことをしないと意味ないから。
 
 そうやってまあ順調にやってたんだけど、ある日ぼくの携帯に一本の電話がかかってきた。ぼくが中二のときに離れて以降ほとんど連絡をとったことのなかった母親からだった。ぼくは母親の電話番号を知らなかったから、たぶん連絡を取り合ってた数少ない親戚からぼくの番号を聞いてかけてきたんだと思う。
 その電話からわかったのは、母親が隣県に住んでいるってことと、一緒に暮らしてた男が死んだということ。最後に母親は言った。「一緒に住まないか」と。
 ぼくとしては突然の電話だったし、内容も驚くことが多かったしで正直戸惑った。それにやっぱり十代特有の反発心というか「今更なんだよ」みたいな気持ちも。でもぼくは小さい頃からお母さんっ子だったから久しぶりに聴く声が懐かしくて、ありきたりだけど胸がいっぱいになってもいた。すごく複雑な気持ちだった。

 それで当然その電話のことを相棒に相談したんだ。
 正確なやりとりはもう覚えてないけど、相棒はずっと冷静にぼくの話を聞いてくれた。ぼくはまだ混乱した頭で、それまでのことや今思ってることなんかをとにかく話したんだと思う。
 それがちょうど冬から春にかけてのことで、相棒は高校卒業するってタイミングだった。ぼくらは毎日のライブと並行して何日かかけて今後のことを話し合った。
 最終的に行きついた結論は、ぼくは母親のところへ行って新しい環境でやってみる。相棒は地元に残って(たぶん就職が決まってたんだと思う)続ける。というもの。
 コンビは解散せずに一年ぐらいしたら相棒が引っ越してくる。それまでにお互い新しい曲をバンバン作って頑張ろうぜっていうすごくポジティブな感じになった。今のぼくが当時の自分たちに会えるなら「そんなにうまくはいかないぞ、少年たちよ」って言うだろう。そして当時のぼくらは確実に反発するだろうな(笑)。

 ぼくが母親の元へ行く日と、相棒の彼女が専門学校に入学するためにぼくと同じ町へ引っ越すのは偶然にも同じ日だった。時間をずらしたから電車は別だったけどね。
 その日、地元の駅のホームで相棒はまず彼女を見送って、次にぼくを見送った。ぼくは相棒を見て「彼女見送って泣いた?泣いたでしょ?ん?」とかなんとか言ってからかった。

 

 こうやって思い出すと、彼女と音楽のパートナーを同時に見送った相棒は寂しかっただろうなあ。それと同時に彼のことだからやる気も出ただろうな。
 ぼくはぼくで電車の中で、相棒のことや交流のあった人たちのこと、それになにより久しぶりに会う母親のことを考えて少し泣いた。リュックとギターケースがやたらと重く感じたのをよく覚えている。

よし、かっこよく締まったし今回はこのへんで。

ずれ

相棒の話は一旦休んで、最近感じていることを。

 

ぼくは子供の頃からどこか周りとずれている感じというか、疎外感みたいなものを受けながら生きてきた。幼稚園や小学校でクラスの子たちと違うものの見方をしてしまうというか、授業であてられて自信満々で答えるけど、その答えに先生が困るというか。「え?これってこうだと思ってたけど違うんだ?」みたいな。
これって結構多くの人が体験しているんじゃないかと思うんだけど、どうだろう?

小学生ぐらいのときは、まあなんとかなったんだけど、成長するにつれずれが大きくなって、そこに自分が戸惑うことも多くなった。中学生にもなると、自分の育ってきた環境もあってさらに倍率ドンみたいな。古いな……。
その頃のことを最近思い出すことが多くて、自分自身のこれまでの歩みを振り返ったりしている。大袈裟な言い方になるけど自分の人生、生き方を見直すというか。

それで、まあ後悔が多い。勿論それなりに生きてきたから嬉しい瞬間や素晴らしい、素敵な瞬間もいくつもあった。胸がぎゅーっとなるようなことも。
それでもやっぱり「あのときああしとけば、こうしとけば」みたいなのって多くて。それが生きるってことなのかもしれないけど、そのことを思う度にちょっと心臓の横辺りがざわざわするんだ。いろいろと振り返って、自分ってあんまり成長してないなって落ち込むことも多い。いい大人なのにぐじぐじ考えたり、どこか卑屈な自分もいて。

これは誰だってそうだと思うけど、ぼくも生きている限り誰かに必要とされる人間でいたい。しかも小心者のくせに欲張りなものだから、少しでも多くの人に。また大袈裟なんだけど、ぼくが死んだときに少しでも多くの人に本当に泣いてほしいというか、そんな感じ。あんまりいいことじゃないんだろうけどそれが今の本音だ。

ただ、その為になにができるかはわからない。必要とされたい、つまり正直な話愛されたいけど、どうやったらそれができるのかわからない。いい奴であろうとしてもただのいい奴で終わる気がするし、何か秀でた才能があるわけでもない。あるのは子供の頃から少しずつ広がった周囲とのずれ。それをないことにする術。これがまあ疲れる。みんなそうやって頑張ってるんだろうけどね。参ったなあ。

たぶんあれこれ考えるようなことでもないんだろうな。

 

まあ、あれこれと意味があるんだかないんだかわからないことをぐちぐち考えたり、焦ったり、イライラしたりしながらもがいています。

過去の話をしよう ~ぼくの相棒のこと②~

いや、なかなか書けなかった。
そしてタイトルを変えた。だって暮らし記録してないもの。よく考えたら。でね、願望。

 

 

さて、相棒の話。

ぼくらは毎日会って音楽をやったり音楽について語り合ったりした。
当時は十代だったからお金はなかったけど、時間はあったんだ。学校が終わってからの時間はほとんど一緒にいたんじゃないだろうか。

いや、相棒には当時付き合って三年になる恋人がいたから、正確には彼女と会っていない時間のほとんど、か。

その彼女が美人でね。相棒は本当に惚れこんでいた。「あいつのことしか考えらんねぇ」みたいなね。
まあ、今思えば十代にありがちな青臭い純粋さというかね。いや、本当に羨ましいよ。
当時ぼくは今以上にろくでなしだったから、いろんな女の子と遊んだりはしたけど、なんか真剣になれなかったから。
しかもね、相棒の方が基本的にモテるんだ。男前だしね。腹立ってきた(笑)

 

そんなことはどうでもいいんだ。

ぼくらはお互いにロマンチストで、田舎の青年にありがちなシャイな性格だった。
だけど、音楽に関してだけはちょっと恥ずかしいようなことでも言い合えた。缶コーヒーと煙草とギターでね。
そういえば、なぜか相棒とはあまり酒を飲んだ記憶がないな。

 

曲作りは、基本的にそれぞれ別々に行ってある程度形になったら聞かせるっていうスタイルだった。
当時書いた曲はもうほとんど手元に残ってないけど、かなりの数書いた。たぶんいい曲もあったはず。それでできる度に聞かせるっていう。
毎日のように路上に出てたから、一通り演奏し終えて、通りに人がまばらになった頃、だいたい十一時半とか、それぐらいの時間は練習と新曲披露タイムだった。家で小さな声・音でやるのと大きな音でやるのとではだいぶ違うからね。イメージ通りにいかないことも多い。
この時間は楽しかったなあ。いや、今思うと日々のすべてが楽しかったようにも感じるけど。