水を撒いてくれ!

とりとめない思考の垂れ流し、または備忘録

過去の話をしよう ~ぼくの相棒のこと④~

 木根さんがかわいくてしかたない!

 そういうあれで、久しぶりに相棒のことを書こうと思う。

 ↓が前回まで。

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  三回目はぼくが地元を離れて母親のいる街に向かうところで終わっている。
 前提として、ぼくの家庭の事情というかぼくの身の回りの環境というのが少々ややこしい&イビツだったので普通の十代ごろの思い出話として読むと「ん?」ということが多いかもしれない。それを前提に続きを。

 相棒と離れて向かった先は地元からすると比較にならないくらい都会だった。
 そのターミナル駅。小柄で色が黒くチリチリの頭に度があってるのか定かでない眼鏡。パッと見他人だったら避けたいタイプの人。その人がこちらを見てにかっと笑った。どうやら一応度は合っているらしい。
 ぼくの母親は父親に言わせれば「極楽とんぼ」な人だった。ここで詳細を書くと趣旨がずれるから、母のことはまたの機会に取っておこう。
 ただ、いろいろあったのに母親が作るごはん(ぼくの好物ばかり)を食べたらそのときだけはそんなことどうでもよくなってしまう。ごはんは偉大だ。

 翌日、母親の家で自分に宛がわれた部屋でぼくは早速作曲に取り組んだ。が、正直環境が変わってはじめのうちは乗らなかった。それで気分転換に周辺をぶらぶらと散策してみたりした。母親意外は誰もぼくのことを知らない場所をぼくは余所行きの顔で歩いた。町の方もよそよそしかった。
 それからぼくは音楽活動のためにバイトをはじめた。時給はたしか740円とかだったと思う。
 ある日のバイト帰り、バイト先の最寄り駅(住んでるところからは一駅)で路上ライブをしている二人組を見た。繁華街の近い駅では路上ライブが盛んなことは知ってたけどまさかこんな外れの駅でもやってるとは思わなかった。当時のぼくは今より社交的だったのでその二人組に声をかけることにした。
「あの、この辺にギターの弦買えるトコないっすかね?」
 今でもよく覚えてる。そして最近引っ越しのときにも確認したが、ぼくはたしかにそう声をかけた。
「いや~、この辺にはないっすねえ。街まで出ないと」
 二人のうち背の高い方の人が答えた。だろうな、と思った。会話のきっかけなんてなんでもよくて、ぼくは余所行きの町に知ってる顔が欲しかったんだ。
 そこからは自己紹介して「音楽やってんすか?」とか「どんなのやってんの?」とか質問したりされたりであっという間に顔見知りになった。ちなみにここから二カ月ぐらい彼らはぼくの名前を間違って覚えてた(笑)

 その日の夜、ぼくは久しぶりに充実した気分で寝床についた。
 実はこのちょっと前に相棒は彼女と別れてた。路上ライブ中にその電話を受けたぼくはちょうどお客さんがいなかったこともあって、相棒のために電話越しに唄人羽の「なれずに」という曲を歌った。二人でも何度もやったことのある曲。
 あの頃は今思うとちょっとクサいことを平気な顔してできていたんだなあと感心する。

 なんだかいろいろ思い出して暑くなってきたから、とりあえず今回はここまでにしよう。相棒ほとんど出てきてねえや(笑)